株式会社集英社 常務取締役 鈴木晴彦さんインタビュー

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更新日 : 2017/12/25
株式会社集英社 常務取締役 鈴木晴彦さんインタビュー

1978(昭和53)年、株式会社集英社に入社した鈴木晴彦さんは、
希望していた『週刊少年ジャンプ』編集部に配属。
鈴木さんの編集者人生は、まんが黄金時代と共に歩みました。
そんな経験を積んで、現在は集英社の常務取締役となった鈴木さんに、
漫画家と編集者、新人発掘、まんが甲子園のことなどについて伺いました。

漫画家の脳みそに手を入れて素材を確認する


株式会社集英社 常務取締役 鈴木晴彦さん

 鈴木晴彦さんがジャンプ編集部に配属されたのは、ジャンプが創刊10年目の時。それから10年間、同編集部に在籍します。その後、同じ編集室内に部署をかまえ、青年誌となる『スーパージャンプ』を創刊から担当し、編集長としても8年間手腕を発揮しました。当時はまんが黄金時代で、『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』の鳥山明先生、『魁!!男塾』の宮下あきら先生、『シティーハンター』の北条司先生など、年齢が若く、才能豊かな漫画家がひしめいて連載していた頃を振り返って、鈴木さんは「少年向け、青年向けの漫画をひたすら作っていた時代でした」と笑います。

「まんが編集者の仕事は、実はそんなに難しいものではありません。まずは、読んで面白いか面白くないかだけの感想を、きちんと言えれば務まります。だからこの仕事を一度も難しいと思ったことはないんです。ある後輩の編集者が、『漫画家の脳みそに手をいれて、直に脳みそを触って、素材として何を持っているかを感じて、その一番いいところを引き出すことがまんが編集者』と言ったことに心底感心しましてね。この頃にはすでに僕は編集長になっていたので、編集現場で実践はできなかったのですが、出来る編集者は皆そういうことを言っているような気がします。

 最初に担当した漫画家が『警察犬物語』の石川サブロウ先生、次に『リングにかけろ』の車田正美先生で、僕は運が良くて作家に恵まれていたので、漫画家の先生方が、仕事も人生も色々な事もすべて教えてくれました。」


漫画家と編集者は一対一の運命共同体

 漫画家を目指す多くの人たちは出版社に作品を持ち込みます。特に学生は夏休みに描き、その後半に出版社に持参することが多いので、編集者同士がライバルな編集部内では、その持ち込みアポイントの電話の奪い合いになるようです。そこでの出会い、その後の対応が本当の仕事だと鈴木さんはいいます。『キャプテン翼』の高橋陽一先生と初代編集担当になった鈴木さんとの出会いも夏休みで、高橋先生が高校生からの付き合いだったと振り返ります。

「当時は『ドカベン』をはじめ、水島新司先生の野球まんがが少年の心を独占している時代でした。高橋先生は子どもの頃から鉛筆でまんがを描いていて、その中でも野球やサッカーなどスポーツものを一生懸命描いていたんです。そんな中、集英社が主催するストーリー漫画の新人賞『手塚賞』に応募したのがSFまんがで、『全然向いてないけれど何でSF描くの?』といったら、『手塚賞ってそういう賞かと思いまして』って言われて(笑)。『違うよ。自分の一番得意なものを描かなきゃダメだよ。スポーツまんがを描こうよ』と。それからより即戦力の新人発掘目的の月例賞に応募しはじめて、そこでサッカー・野球・サッカー・野球と4回連続佳作になった後、5作目に描いたのが入選した読み切りの『キャプテン翼』でした。これは中学生設定でしたが、それをベースに一年間、ネームをあーだこーだとやって、試行錯誤の末に設定を小学生に置き換えました。それで集英社で一番シビアで重要な会議と言われる『週刊少年ジャンプ連載会議』に通り、今日に至るという感じですよね(笑)。

 ジャンプでは漫画家と編集者は一対一の運命共同体です。要するに一緒に作って結果を出して、一緒にメジャーになっていくという、本当に大事なパートナーなんですよ。だから、どの編集部よりも作家のことを大事にするというか、いわゆる作家さんを通してでしか自己実現できないという、ジャンプはそんな覚悟を決めた編集者の集まりですね。」

 鈴木さんは、『週刊少年ジャンプ』の3つの言葉には、それぞれ意味があるといいます。「週刊」は、世界で唯一日本だけ週刊誌があり、ものすごい勢いで面白いまんがが質量ともに生産されているということの意味。「少年」は、少年たち世代にこだわって、まんがを通じて熱さを伝えていくことの意味。「ジャンプ」は、面白いまんがだけが生き残り、連載で続いていく雑誌がジャンプだということ。三つの単語それぞれに、まんがやジャンプがここまでに発展した極めて重要な意味があるんです。



株式会社集英社 常務取締役 鈴木晴彦さんインタビュー

まんがも、敗者に涙があった

 2017年に行われた「第26回まんが甲子園」2日目に鈴木さんのインタビューをしましたが、初参加となった感想を、率直に「超面白い!」と言ってくれました。特に心を打ったのは、『ひろめ市場』で敗者復活戦が終わり、結果発表が終わった後も、一校一校審査員の先生方が暖かいコメントを出してフォローしていたことや、市場内でグリーンのTシャツを着ている先生や高校生が泣いている姿を見た時、「本当に甲子園なんだなと思って(笑)。まんがだから、スポーツみたいに負けて泣くなんてことはないと思っていましたが、あの敗者(復活戦)の後にすごいところを見ることができたなと感じました。作品は一枚だし、みんなで共同制作をしているので、実際まんがとは違うものだと思いますが、まんがというか絵を描くことに若い人たちが夢中になってくれる。それはすごいことです。ある日突然、漫画家になってくれる人がゼロになったらこの業界は終わってしまうし、時々そんな夢を見ていますから、嬉しいですね。」と話します。

 また、この業界の人は皆、高知県がまんがを理解し、前向きな取り組みをしていることや、NHKなどのニュースでも度々取り上げられる「まんが甲子園」のことを認知していると鈴木さんはいいます。

 集英社さんと高知県がコラボするとしたら、どんなことができますか?と質問すると、ちょっとリップサービスになりそうだと断りながら、「これは集英社とは関係ないアイデアだけど、まんが甲子園に台湾と韓国からチームが参加していると聞いていますから、日本海チームの韓国と鳥取、台風の進路のチームで台湾と高知がタッグを組んで何かすれば話題を呼びそう(笑)。集英社としては、漫画家大会議とまんが甲子園のゲストや審査員に、ウチを中心に描いている漫画家の先生を紹介することですね。せっかくこれだけ県が力を入れて取り組んでいただいているので、仲介の労を惜しまずにということぐらいしか模範解答はないよね。それでいいよね(笑)。」


喜ばせ、楽しませ、勇気を与えてくれる友達


株式会社集英社 常務取締役 鈴木晴彦さんインタビュー

 高知にはこれまで6度ほど来たことがあるという鈴木さん。2016年のゴールデンウィークには家族旅行で仁淀ブルーの「にこ淵」や「沈下橋」など仁淀川を堪能したり、ごっくんの馬路村や歴史のある蔵や建物が並ぶ室戸市吉良川、室戸岬などを経て徳島県へ抜けていったそうです。以前にも四万十川で屋形船に乗って舟遊びをした時、「鮎がピチピチ跳ねて、それをトンビが上から狙ってピューっと飛んできて、なんて豊かでのどかな場所だろう(笑)。平日だったから誰もいないし、鮎釣りの解禁前で釣り人の車やボートが待機している中で、悠々と川遊びしたということを、すごく懐かしく覚えています(笑)。」といいます。
 最後に、高知県で漫画家を目指す若者たちにメッセージを頂きました。
「青柳裕介先生や、やなせたかし先生、ウチでいうと『狂四郎2030』の徳弘正也先生など、素晴らしい作家をいっぱい産んだ風土ですね。そして3人ともやっぱり志が高かった気がします。それは漫画家になるだけではなく、作品で人を喜ばせ、楽しませ、勇気を与え、人助けするとか。すごく大げさな言い方になりますが、学校でいじめられたり、理由があって学校に行けなかったり、そういう時に、友達としてそこに存在するのがまんがなんです。世の中には、まんががなくちゃ生きていけない人がいっぱいいます。まんがにはその要素があって、そんな人たちのために、『本当に生きていてよかった』というようなまんがを描けるように、自分を磨いていってほしいですね。そのトップにいるのが尾田栄一郎先生だと思います。やっぱり『ONE PIECE』を読むと元気になるわけですよ、みんな。だから、『第二の尾田栄一郎はぜひ高知県から出てほしい』ということです(笑)」。


鈴木晴彦さんプロフィール

1978年集英社に入社。
週刊少年ジャンプ編集部に配属され、「キャプテン翼」や「リングにかけろ」などの作品を担当。
スーパージャンプ編集長などを経て、2016年より現職。

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