【大会議】村上もとかスペシャルトークショーレポート

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更新日 : 2017/03/30

村上もとかスペシャルトークショー〜幕末を駆け抜けたJIN‐仁‐〜

『JIN‐仁‐』の作者、村上もとか先生と初代担当編集者の鈴木晴彦さんに、『JIN‐仁‐』の誕生秘話や苦労話などここでしか聞けない制作の裏側を大いに語っていただきました。

■出演者:村上もとか先生

鈴木晴彦(株式会社集英社常務取締役)

千野秀和(NHK高知放送局アナウンサー)

 

▼高知や坂本龍馬が好きなお二人の来高歴やその時の思い出とは。

千野秀和(以下、千野):村上先生、高知には何回くらいお越しになっていますか。

村上もとか(以下、村上):2回目です。1回目は1988年の5月。瀬戸大橋がつながる直前で、本州にまだつながっていない四国を見てみたいと思って、四国一周電車で回って高知も車を借りて見て回りました。でも30年ぶりに来るとタイムスリップしたみたいで、ほとんど街に見覚えがない。高知城と、まだ見ていないですがショックだった「えっ、これがはりまや橋?」っていう記憶しか残っていません。

千野:じゃあ2度がっかりできるかも。

村上:変わってないですか?

千野:変わってないです。まわりはビルが建ったり、駅も変わりましたけど。タイムスリップというと『JIN‐仁‐』の世界とかぶるようなお話です。30年ぶりとはいえ2度目のお越しありがとうございます。

千野:そして、鈴木常務は高知へはどのくらいお越しですか。

鈴木晴彦(以下、鈴木):今日で4回目です。ひろめ市場が大好きではまりまして、あんな楽しいお酒のスペースはどこにもないので。去年は嫁に行く娘と最後の家族旅行ということで、にこ淵からひろめ市場、室戸岬まで高知をくまなく回らせていただきました。高知大好きなんですよ。

千野:取材でお越しになる編集の方はけっこういらっしゃるようですが、取材ではないんですか?

鈴木:ぜんぶ自腹です(笑)

千野:高知の人間としてこれはうれしいですね。お仕事で来たのをきっかけにはまって、移住される方もいるくらいですから。

鈴木:それだけ魅力ある土地だと思います。

千野:村上先生は、お酒はいかがですか。

村上:嫌いではないです(笑)

鈴木:めっちゃ、強いですよ(笑)

千野:そうなんですね。『JIN‐仁‐』の中でも主人公たちがけっこう飲まされていますね。

村上:坂本龍馬さんと友達になってお酒を飲んでみたいというという願望があって、それを主人公にやらせてみたいという。

千野:それを(主人公の)南方仁を通して叶えたという、そういうお気持ちも作品に入っていたんですね。

村上:あの時代にタイムスリップしたら誰と友達になりたいか。坂本龍馬と友達関係になった人は今までのストーリーにはなかったから。


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▼漫画『JIN‐仁‐』の誕生を支えた「チームJIN‐仁‐」の存在。

千野:ここで村上先生から『JIN‐仁‐』のご紹介をしていただけますか。

村上:一言でいうと、現代の脳神経外科医の南方がふとしたことというか、とんでもないことが起きて幕末の文久2年の江戸にタイムスリップして、そこでどうやって生きていくかというと、その時代にはない医療技術で生きていく。いろんな人を助けていくというお話です。

千野:第1話から数話にかけて、違う世界に来た仁がうまく受け入れながら入っていきますよね。メンタルが強い主人公ですね。

村上:理系の人っていうのは、最初は自分に起きた変化を信じていなくて、やけにリアルな夢だなという認識をするんですが、どうもこれは夢じゃない。どうしてそうなったかはわからないけど、そうなってしまったんだからどうやって生きていくかを考える。そういう人にしたかった。でも現代に恋人や奧さんがいたら執着が残りますから、原作の漫画では第1話でつきあっていた恋人にさっさと振られるという。テレビ版は全く逆で、現代にたっぷり思い入れを残して、というふうになっています。それは確かにあるかもしれないけれど、僕が描きたかったのは現在に未練がないわけじゃないけど、江戸時代というものにちゃんと向き合って生きていけるような、そういうメンタルの主人公にしたかったんです。

千野:鈴木さんはそういう世界観についてはどんなお考えですか。

鈴木:村上先生からこういうテーマで取り組みたいと最初に教えていただいたときに、「とにかくひとつだけ大嘘をつく」と。「だけどそこから先は嘘をつかない。全部リアルでやりたい」とおっしゃられて。いろんな漫画家さんがいますけど、村上先生はリアルを追求するという作品の姿勢をずっと感じていたので、その嘘がタイムスリップと聞いたときはびっくりしました。「えっ、村上さんがタイムスリップものやるんだ!」って。全く思ってもみなかったので。ただしそこから先は村上漫画で、どのシーンも相当深い取材をしてバックをちゃんととって作品を作っていたと思います。ほんとにお手伝いできて幸せです。僕、『JIN‐仁‐』のおかげで偉くなりましたから。すみませんこんな話で(笑)。生まれ変わったら女に生まれて先生の奧さんになりたいくらいです。(笑)

千野:『JIN‐仁‐』みたいにパラレルな話が現実に起きたらぜひ叶えていただいて(笑)。改めて作品に戻らせていただきます。たしかに当然漫画ですからイラストで表現するわけで裏の取り方は緻密にされたんですね。

村上:そうですね、当然僕には医学の知識があるわけでもないですし、それまで時代物をモチーフにして描いたこともほとんどないんですね。ですからすべてが自分にとってもチャレンジでしたし、チャレンジすれば勝てるというものでもないんで。最初にこれはとっても描くには難しい話で、リアリティーを持たせるためには監修の方を用意していただきたいと。まず医学の方。そして医学史というか江戸時代の医学の歴史のことをよくわかっている方。それから江戸時代のいろんな制度などを含めてわかっている方。そして、そういう方でマンガに理解のあるいい方をキャッチしない限り、この話は絶対失敗しますと。だから鈴木さん3人の監修の方をしっかり探してくださいと(笑)。素晴らしい三人の先生を探してくれました。

千野:専門の方があまたいる中で、どうやって集めていかれたんですか。

鈴木:医史学のてっぺんにいるのが順天堂(大学)の酒井先生で、突然先生の部屋を訪ねまして。ところが酒井先生は昔、手塚先生の『陽だまりの樹』を監修なさったので、漫画の監修にはそんなに驚かなかった。最初は怖いおばさんだなあ、と思って、部屋に入った瞬間「しまった」と思ったんですが、おつきあいしてみたら知識を持った素敵な先生で。監修した先生方を「チームJIN‐仁‐」と呼んでいるんですが、みんな素晴らしい先生です。そのときに「直あたりすることだなあ」と思ったんです。高知県の監修の先生も高知県庁でお会いして。龍馬は100%、そのときの土佐弁を再現したいという村上先生の意向で、いろんなルートをたどって橋尾先生ということなりました。

千野:今、高知でしゃべっている土佐弁とはだいぶ違っていますからね、いわゆる古い土佐弁というか昭和の頃でもない、江戸の頃の龍馬がしゃべっていたはずの土佐弁ですね。

鈴木:先生からいただいたく原稿は標準語なんです。それを直していただいて、という作業で面白かったですよ。

千野:村上先生は、(原稿が)戻ってきたのを見てどう思われましたか。

村上:僕は関東の生まれ育ちなので、ふる里に帰ればふる里の方言を持っているという人がうらやましくてしょうがなかったんですね、東京だと郊外に行けばただ汚くなるだけで(笑)。いいなという感じの方言ではないんですよね。東北弁なんかは聞き方によってはフランス語みたいに聞こえたり、土佐の言葉は、男性がしゃべれば男性的で喧嘩が強そうで、女性は「はちきん」っていうんですか、小股が切れ上がったような素敵な女性がしゃべっている言葉という感じがします。本当は江戸にいる龍馬さんは侍ですから、侍言葉をしゃべっていたんでしょうけど、でも侍言葉をしゃべる龍馬さんよりは土佐の方言を交えながら仁とつきあってくれる、そういうふうに描きたかった。

千野:私今、まさに坂本龍馬が登場するシーンを思い出していたんですけど、つっけんどんな感じなんですが、すぐほだされるというか仲良くなれる。あの流れが本当に高知の人をよく描かれているなあと思って拝見しました。人たらしというところの才能というか片鱗がちゃんと漫画の中で描かれていて、高知に暮らしていると本当に楽しいですね。

▼リアリティーをとことん追求した江戸時代の手術シーン

千野:製作の準備段階で大変だったエピソードはありますか?

鈴木:大変ではなかったんですが、先生が一番最初に僕に与えてくれた取材先は、脳の手術をそばで見たいということ。手術室に入れてもらえるルートを探してくれないか、というオファーを受けまして、その流れで杏林(大学)の冨田先生に。

村上:冨田先生は、実は仁のモデルにもなっているひげの先生で、目がすごく大きくてイタリアンな日本人離れしたような。その先生の好奇心に満ちたお顔を見て、主人公はこのイメージでいこうと。好奇心が先に出てしまうような。当時は脳外科の外科医長かな、30歳ちょっとでやっていて腕利きの外科医さんなんですけど、何よりビックリしたのは大変な漫画マニアで、打ち合わせの時にファイルを持ってくるんですよ。それが医学のファイルかと思ったら、漫画のいろんなシーンのファイルで。「今までいろんな人が漫画で医療について描いているけど、これは全部間違っています。この間違いをしないでください」と(笑)。漫画家さんがおかしがちな、こうあってほしいと思って作っていること、例えば「手塚治虫先生もここが間違っています」とかいう感じで。少女漫画に至るまでファイルして持っていらっしゃる。

千野:ほーっ、徹底して。でもこれから描くというときにはドキドキしませんか。

村上:いや、非常に心強い、漫画を好きでいてくれるというのは。こちらも「じゃあこういうことがやりたい」と無茶ぶりのように投げかけることができる。それを真剣にどうとらえたらいいか考えてくださる。

千野:なるほど。じゃあ、けっこうこまめにやりとりがされたんですね。

鈴木:そうですね、毎回必ず。冨田先生がその時代だったらどうするかをいろんな資料で見ていただいて、という感じでしたね。

村上:『JIN‐仁‐』の手術シーンは、興味のある読者しか見ないのかもしれないけれど、今でしたら医学を勉強する人はDVDなんかを見るわけですけど、(体や患部に)ラッピングをしていて(血が)真っ赤赤で何がどうなっているか分からない。それをわかるように描かなくてはいけないということで。たぶん当時の手術だったら、もっと切った先に筋肉の繊維や内臓が見えていたと思います。そういうものを表現するうえで、どのくらいの血を出したらいいのか、そういうことも描いて相談して。僕は一カ月先に原稿をあげていたんですよ。そうすれば「ここは血の出方が違いますよ」と言われても描き直すことができます。そうやって連載をやっていました。

鈴木:お腹の管の位置が5センチ違うと言われて描き直したこともありましたね。

千野:事前の準備というか、用意周到に設定などを作られて臨んだということですね。

村上:そうですね、冨田先生自身も若くて今50いくつ。俺よりも10歳ぐらい若い方で、その頃は30ちょっと。ですから当然、新しい医学で育ってきているわけですから分からないわけですよね。でもお父さまもお医者さんですし、大学病院でも昔軍医だった方の話とか聞いて。そういう方は今と違って、まわりに何もない状況の時に手術をしなくてはならなかった。そういう人たちのいろんな体験を聞いて、作品にリアリティーを与えています。

千野:あの大火のときの応急処置などに表れているわけですね。打ち合わせが相当緻密に行われたと思うんですが、描かれる時間と、打ち合わせする時間とはどういうボリュームだったんですか。

村上:打ち合わせの時は、ばあーっとデータというか資料をいただきまして。先生の仕事が終わったあと家に来てくださって応接で床に座りながら、「こうで、こうで」とか「これはどういうふうに描いたらいいか」とか何時間もかけて相談をして。そこで相談してしまえば、「描いてしまえ」っていう感じで描いちゃう。あとはもう1回、「駄目だよ」とか「違うよ」と戻って来ますので(笑)

千野:じゃあ原稿ができた段階での往復というのもあったんですか。

村上:ええ、最初の頃はありましたよ。だんだん慣れてくるとこちらもだいたいこういうことじゃないかな、みたいな感じで。

千野:そうやって専門家に学んでいくと、プロフェッショナルとはいかないまでも、そうとう詳しくなったんでしょうね。

村上:僕はほんとに付け焼き刃ですけど。今と違って麻酔も十分ではない、抗生物質なども今のようにはないという時に、実際に切ったりお腹を開けたりということが行われていたんだというリアルさが、読んでくださる方に伝わってくれたらと思って描いています。

 

▼『JIN‐仁‐』を描き続けるにはペニシリンが必要だった!

鈴木:さっき「一度嘘をついたら後はつかないぞ」という決意のことを言いましたけれど、先生がその時に「あの時代にペニシリンが作れなかったら仁はもうやめるよ」と。だからたぶん7巻ぐらいで終わっていたんですよ。それで僕らは必死になって、どうやったらあの時代にペニシリンが作れるか、僕の次の担当者がある薬学部の先生のところにたどり着いて、仮定の話だけれど、こうしたらできるんじゃないかということがありました。

千野:若い頃に仁が、友達から聞いていたあの話が。

鈴木:ほんとに真っ青になりました、「もうやめるよ」と言われた時は(笑)

村上:やっぱり、アルコール消毒だけで何でもかんでも切っていたらおかしな話になってなりますし。

千野:その努力の跡があるからペニシリンが出てきたというわけではないですか?せっかく見つけたから、やっぱりという。

村上:そうですね、結核にはペニシリンは効きませんけれども、梅毒ですね。梅毒に一撃を与えたいというか、梅毒に苦しむ女郎さんなんかを救いたいというのが発想の根本にあったものですから。もともとは『JIN‐仁‐』とは逆になっちゃいましたけれども、「江戸の性病」という一冊の本がありまして、幕末の江戸において、いかに梅毒などの性病が猖獗(しょうけつ)を極めたかという。多くの春をひさぐ商売の女性たちの平均寿命は20代前半ぐらいであったという話を、データを交えて書いている本がありまして。それを読んだときにこれはすごく悔しいな、何とか救いたいと思って。現代のお医者さんがもしここにいたらこれは救えるのかな、救えないのかな、という発想から始まった話です。

 

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千野:それは『JIN‐仁‐』そのものがですか?

村上:なぜ仁を江戸時代に行かせるのかというと、梅毒に苦しむ女性たちを救いたいというところからです。

千野:ほんとにそれが最初だったんですか。

村上:だから正直言うと、「その時代にペニシリンを作るのは無理なことだ」と言われた時には、じゃこれは話の根幹が狂ってくるわけだから、長くは続けられないな、と思ったんです。そういった特効薬がなければ、最後は脳の手術までやっていくわけですから、そこまで進めていくことが嘘になってしまうと思いましてね。冨田先生ももちろん、お医者さんはみんな反対で「あり得ない」と言うわけです。産業革命を待たなければペニシリンは作れないと。冨田先生なんかはまた、ファイルをばーっと持ってきて、「いろんな漫画家が漫画の中で青カビからペニシリンを作るというのを描いている。手塚治虫先生も描いている。これは全部嘘です。絶対これではできません」という。えーって思って。医学史の酒井先生も、もともとはドクターですから「無理ねっ!」って言われて(笑)。やっぱりこれはやめるしかないのかと思ったんですけど、薬学の(監修の)花木先生が、「江戸時代に江戸にあるもので、こうしたらペニシリンが抽出できるんじゃないか、というレシピを考えるようにしたらいいんですね」ってすごく理解をしてくれる方で、それでできたのがあのペニシリン精製法でした。

千野:なるほど、『JIN‐仁‐』の根幹というか、村上先生のモチベーションの最大のポイントがペニシリンだったわけですね。

村上:そうですね、だって切ったり縫ったりする外科医はその時代もいたわけで、わざわざ現代から行って「俺は脳神経外科医だ」って言っても、「だから何なんだ、ここには電気メスも何もないぞ」と言われたら「ああそうか」って。逆に何もない時代に切ったり縫ったりするのは何もない時代の人の方がうまいかもしれないですよね。一番重要なのは、脳みその中というか、現代の医学や知識でどれだけの人たちを救えるかという、そこになっていくと思います。


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▼タイムスリップした先は文久2年、そこに隠された理由

千野:あえて新しい医療漫画という切り口でいくと、冨田先生から厳しいハードルも設けられた『JIN‐仁‐』という作品でしたけれども、新しく描けたというか、生み出せた要素というのは何かありましたか。

村上:新しいものというより、逆に見てくださった読者に古いものに気づいてほしいというか、今生きている人たちはみんな150年前にご先祖がいるから、今自分がいるわけです。150年前といったら江戸時代の人たち。日本ってものすごく風景が違ってしまったからたった150年、200年でもとんでもない昔みたいに思ってしまいますけど、ヨーロッパなんかに行くと200年、300年は家も何もそのまま残っていたり、何代もそこに住んでいる方がいたりという感じですよね。日本の場合は家をどんどん建て替えていく時に、数代前のことは昔々で自分とは無関係の人みたいに思ってしまう。タイムスリップさせたというのは、実はその人たちは自分たちのすぐ後ろを振り返ればそこにいるご先祖なんだ、ということをこの漫画を読んで気づいてくれればいいなと思いました。

鈴木:先生と東京の町を歩いているときに「鈴木さん、江戸の町ってほんとうにきれいだったんですよ」とおっしゃったんですね。そのときに、村上先生の頭の中には当時の江戸の町が入っているんだなと思いましたね。

千野:(現在の)東京湾にあたる江戸の海に初めて船で浮かんだときに「きれいだな」と感動する、それは先生のお心というか。

村上:ええ、きれいだったと思うんですよね。

千野:ああいったものを当時の古地図や絵を参考にして書き起こされたんですね。

村上:そうですね、道は意外と変わってないんですよ。掘り割りは埋め立てられて高速道路や道路になったというのはありますけど。でもこれが掘り割りだったと考えればすごいし、江戸は水の都だったんだなという感じはしますね。

千野:『JIN‐仁‐』という作品には市井の町の人たちがたくさん登場します。高知の「幕末維新博」について知事からも紹介がありましたが、幕末のキャラクターが多士済々登場します。そのあたりは、この時代を特に好んで設定されたのに理由があるのでしょうか。

村上:漠然と最初は幕末と思っていたんですけれど、ちょっと医学史を調べていたら文久2年の1862年に仁はタイムスリップするんですが、その年が江戸の代表的な病の、コレラやはしかが両方とも起きている年だったんですね。このチャンスを、ここに下りないと主人公が大活躍する場がないと言いますか。

千野:しかもいきなり超有名人と会うわけでもなく市井の人と。まあ、橘家と最初は出会いましたけど、町の人から始まって誰でもかかりうるリスクから話を始めていきました。

村上:そうですね、市井の人を救っていくところから始めたかったので。現代の医学の知識をもって、だいぶ救うことができると思うんですよ。そうしたらそこの文久2年の江戸にちょうど龍馬さんもいて、これはいいなと。どこかでこの主人公の裁量に気づいて後ろ盾やそのために働いてくれる人がいなければ、ただ、へんちくりんな奴がタイムスリップして現れても排斥されるばかりで、とても世の中の人は受け入れてくれないだろうと。だからそこを勝海舟や医学所のお医者さんであったり、お医者さんだからこそ「これはただ者じゃない」ということがわかるというような、そういう人が後ろ盾になったら主人公も活躍できるし説得力があると思いまして。

千野:鈴木さんは編集としてつかれていて、ストーリーの展開で考えたこととは。

鈴木:僕は頭の数巻を担当したので僕のあとに二人担当者がいるんですけど、ただ、いつも「チームJIN‐仁‐」で話をしていたことがあるのでその感想で言いますと、今先生がおっしゃったように文久2年にいたと。そのときにどんな人間が存在したかということを先生がお調べになりながら話が広がっていった気がします。(澤村)田之助の話も多分そうだと思いますし。私、田之助が大好きなんですよ。最初の何とかババアにお金を投げつけるシーンがあるじゃないですか、あれがもう爽快で爽快で(笑)。もう何回読み返したかというくらい。あの時代に先生が一回下りて、ぐるっとまわりを見て、こいつとこいつとこいつは使えるんじゃないか、ということをなさったような気がします。

千野:まるで江戸の町からスカウトしてきたような、それだけリアルだった感じがします。

鈴木:楽しい時代だったと思いますよ、いろんな人がいて。

村上:うーん、そうですね。医学史の酒井先生にも「文久2年に主人公がタイムスリップする時間設定はとてもいい」とお褒めいただきました。あそこしかないと。

千野:それは村上先生がみつけた事実のところですね。

村上:それもありますし、たぶん社会的にもその前の安政年間だったらあんな怪しい人は刑場のつゆと消えちゃうんじゃないかと思うんです。「安政の大獄」が終わって文久から幕府自体、世の中自体が急速に変わりつつある時代だったと思うんです。そこにちょうどうまく主人公の未来人というキャラクターを食い込ませることができた。

 

▼龍馬の手術のための伏線を描きながら進むストーリー

千野:そこからの展開として、坂本龍馬やたくさんの志士が出てきます。けっこう対立している危ういところにも平気で出て行く仁という主人公の歩かせ方というのはどんなふうに考えていたんですか。

村上:そうですね、お医者さんであるということから、あの時代にいたとしたら「神の手のような人」ということが敵味方なしに興味を持たれるんじゃないかと。西郷さんの場合だと、あまり有名な人は出したいような出したくないような。既に語られていることは、いろんな人が小説に書いているし、どうしたものかと思って。西郷さんは、陰のう水腫という病気を持っていたということと、西郷さんの大きなお腹を見ていると実際はどうだったかわからないですけど、あの大きなお腹を切りたいなぁと(笑)。それで「あのお腹を切りたいんですけど、あの時代だったらまず死んじゃうけど現代だったらわりと簡単なものないですか」と。西郷さんはあれだけの人ですから、何日にどうしていたかということが明らかじゃないですか。ところが蛤御門(の変)の時に、3日か4日間でだけけがをして休んでいたという記述があったんですね。「3、4日何とかすれば何とかなっちゃうような手術はないですか」と冨田先生に言ったら「うーん、盲腸ですね」と。虫垂炎だったらその時代だったら助からないでしょうし、仁だったら比較的に容易に手術ができて、しかも回復してなんとか3、4日で陣頭指揮をとれるんじゃないか、ということで西郷さんのお腹をめでたく切ることができました(笑)

千野:いやー、ほんとすごい会話ですね。「3、4日かけてお腹を切りたいんだけどどうしましょう」、「虫垂炎にしましょう」とは。

村上:僕もあのシーンは描いていて一番楽しかった!

千野:ああ、そうなんですか、希望が叶ったということと他に何かあるんですか?

村上:そうですね、すべてはですね、少しずつ無関係ないろんなことを治療しているように見えますけど、主人公の最後の目標は龍馬の脳の手術なんです。そのためには最低限、これとこれとこれは必要だし、いきなりぽんとそんなものがあったらリアリティーがないということで。龍馬の手術をするまでの5年間、その間をいろんな手術を通じて、いろんな道具も作っていく。それは全部何のためかというと最後の龍馬の脳の手術のため。そこに医学的なピークを持って行こうと思ってしかけていったんですね。だからそのための伏線でもあるんです。

千野:この手術ならこういうパーツを使うから道具を作ってもらっているはずという。

村上:はい、その道具があれば龍馬の手術の時に使える。使っても自然であるという。

鈴木:今回トークショーということで再度『JIN‐仁‐』を読み返してみたんですけど、漫画の編集としてなんですけど、ひとつも、無駄なコマも、無駄なページも、無駄なエピソードも、無駄なキャラクターもないという、ほんとに見事な漫画なんです。改めて来世は村上先生の奧さんになりたいと思います(笑)。連載をしているときは現場なので、全体を見るというより1話1話を近くで見るということだったんですが、上から俯瞰で見たら、この作品はすごいなあと知りましたよ。もし、読んだことのない人がいましたらぜひ読んでください。読まないで死んじゃうと生きた価値がないんじゃないかと。ご家族にもお勧めください。

村上:鈴木さんは、ほんとにこういう面白い方で、僕がネームでつまったりしても頭を動かしてくれるんですよ、楽しい話題をふってくれたりして。実は、龍馬のモデルは鈴木さんなんです。

千野:おお〜。

村上:龍馬が遊郭に行っていきなり「ぱわーぜよ」とか言うときがあって、あれは、なんか打ち合わせをしているときに鈴木さんがあのポーズを取っていきなり「ぱわーぜよ」と言ったときがあって。何だろうこの人はと思って大笑いして。あーでも、この人でいこう!と。龍馬は人たらしだったということです。

鈴木:なんかわかんないんですけど、あのときなんか降ってきたんですよ(笑)

千野:それは完璧な土佐弁で、ですか?なんとなく、口元が確かに似ているなと今思ったりして。龍馬さんの中に取り入れられていたんですね。個人的な感想ですが、あれだけいろんな要素がつまった漫画なのに夜止まらなくなる、けっこう危険な漫画ですよね。

村上:面白く読んでいただきたい、漫画は面白くなければ意味がない。医学知識を人に与えようという啓蒙的なものでもありませんし、ドキドキしながらどうなっちゃうんだろうと思って読んでもらえるのが漫画にとっての一番の宝です。

 

▼最後まで悩んだラストはテレビドラマとは違ったものに

千野:冨田先生の厳しく厳密に、正しい知識であってほしいということと、漫画としての面白さを合わせていく中で、苦労されたことはどんなところですか。

村上:そうですね、苦労の連続のようでもあり、それを毎回毎回クリアするたびに喜びもあるわけです。一番迷ったのはラストのところですね。ラストを悲しい終わり方にするのか。楽しい終わり方はあまり考えていなかったんですけど、途中からラストをこちらが描ききる前にテレビのシリーズが始まりましたし、テレビはもともとの設定がこちらと違いますので。(仁の役の)大沢(たかお)さんはぼろぼろ泣いていましたし、泣きながら最後までいってテレビの方は悲しい終わり方になるんだろうと。しかし自分はそうはなりたくない、そうじゃない終わり方を考えたいと。その時たまたま「トイ・ストーリー3」を観に行きまして、僕この映画大好きなんです。その終わり方がみんな不思議に幸せになるというラストで。『JIN‐仁‐』は、きっと悲しい終わり方になるだろうと世の中の人が思っているんだったらその真逆をやってみたい。みんなが幸せを抱きしめて終わるような終わり方をしてみたいと思って。やっと、ずっと抱えていた悩みが解けた瞬間でしたね。実は10年間連載していたうちのほとんどを「最後どうしよう、最後どうしよう」とずっと悩んでいて。だいたいの着地はわかっているんですが、それをどういうふうにとらえてどう描くか。それによって漫画は全然違いますので。ずっと不安というか悩みを抱えながら描いていたという感じです。

千野:鈴木さんはどういうふうに受け止めていたのですか。

鈴木:あそこ(客席)に最後までやった担当者がいます。先生の打ち合わせの相手をしました。僕は途中から読者で、そのときは少女漫画の部署にいたので遠くから拝見していて。でも心の中にはずっと『JIN‐仁‐』がいて本当に幸せでした。『JIN‐仁‐』連載中の10年間というのは至福の10年間でした。

千野:それはどんなお気持ちなんですか。

鈴木:ドラマになって、単行本も出て、それの最初にかかわれたということで。まあ、きっかけの時だけだったんですけど、世の中に『JIN‐仁‐』という言葉があふれ出していたような気がして。そのときに心の中で「かかわった人間なんだ」と思える幸せはなかなか味わえないので。テレビのプロデューサーは一生の中で何本かやるんですが、漫画の編集者は何本もあたらないし、一度担当すると長くて10年に1本ぐらいなので、5本も10本もという人はいないんです。僕は『JIN‐仁‐』という編集者としての看板作品を先生にいただいて。先生をほめてばかりで気持ち悪い大人ですけど(笑)、そんな感じです。

千野:村上先生の中で「チームJIN‐仁」に関わった皆さんのお仕事はどうでしたか。

村上:皆さんこの仕事にかかわったことを喜んでくださっていて、冨田先生なんかは、それから先の医者としての生き方も『JIN‐仁‐』にかかわったことで少し違う方向に行かれたんじゃないかと。外科から離れて医学教育みたいな方向に行かれて、今は准教授でいられます。だから医学のことで相談するとどこへでも声かけてくださるという、そういう立場で。

千野:人生を変えた作品。

村上:そうおっしゃってくださっています。

千野:先生の中では『JIN‐仁‐』を生み出して人生が変わったことはありますか。

村上:まず、自己紹介しやすくなったのが最大ですね(笑)。ヒットを飛ばさないと漫画家は名前も何も覚えてもらえないんです。昔、少年サンデーで『六三四の剣』という剣道漫画を描いてそれがアニメにもなって、自分の中ではヒット作になったんですけど、それもはるか数十年前の話ですから、自分でも「何を描かれたんですか?」ときかれても今さら昔の漫画を出すのが辛いんですよ。だから、『JIN‐仁‐』のヒットのおかげであと5年くらいは名刺代わりに言えるんじゃないか(笑)それが最大の変わったことですね。

千野:私は『六三四の剣』は、小学生の頃に読ませていただきましたし、ファミコンゲームになったりしてよく遊んでいましたけど、『六三四の剣』も、『JIN‐仁‐』とともに村上先生の作品が書店にいっぱい並んでいる景色がけっこうありました。


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▼これからの漫画、そして漫画家を目指す若者へのメッセージ。

鈴木:今回は「漫画王国高知県」ということなんですが、漫画は今、本当はピンチなんです。なぜかと言うと、小学生が漫画を読まないんです。読まないと漫画を描かない。日本の漫画がクールジャパンの代表みたいに言われてなぜここまで伸びたかというと、二つあると思うんです。一つは手塚先生がいたということ。日本は表現の自由が保障されている国なので。例えば中国なんかものすごく絵のうまい人がいっぱいいるんですが、ああいう全体主義の国からはなかなか爽快なドラマは出てこなくて偏った漫画しか出てこない。しかも手塚先生という天才が漫画の新しい文法を作ってくださったことで、一気に日本の漫画が面白くなった、というのがあると思うんです。もう一つは週刊少年ジャンプの「週刊」「少年」「ジャンプ」という三つの言葉。ジャンプ、サンデーでもマガジンでもいいんですが、「週刊」と「少年」というこの二つがものすごく大きくて。日本以外で週刊の漫画誌が存在しているところはそんなにないと思うんです。週刊の漫画誌が存在するということは、週刊漫画を連載する作家さんがそれだけいてくれるということ。この読者としても幸せな国はないと思うんで、これが廃れてしまうとヤバイと。漫画は子どもの時に読んで親しんで、そこからずっと読み続けるというのが今までの漫画のスタイルだったと思うんです。今の子どもはみんなYouTubeをやっていて、ぜんぜん漫画を読んでくれない。これはピンチ。高知県は漫画に力を入れていていろんなことをやっているので、一緒に何でも協力したいと思います。子どもに漫画を読ませて、その中から漫画を描く子を育てるということは、ぜひこの場を借りてメッセージとしてお伝えしたかったので、そうなれるように一緒にいろいろ考えていきたいと思います。

千野:ちょうどこの「かるぽーと」という施設の中に、横山隆一記念まんが館があって、手塚先生は子どもの頃にフクちゃんを描き続けてそれが原点になったとおっしゃった。子どもの時に漫画を描いて、それが訓練になって手塚先生の基礎になったというのをご本人が本に書かれています。時代はさかのぼってしまいますが、高知はそういう著名な漫画家をたくさん輩出している県なので、ぜひこういったかたちでいろんな先生方にも協力いただいて高知の漫画文化が栄えていってほしいと思いますし、実際ここにお集まりの方でも何かイラストを描いている方や、ひょっとしたらこれから漫画家になる方もいらっしゃるかもしれませんので、ぜひ頑張っていただきたいと思います。鈴木さん、漫画家を目指す人へのメッセージはありますか。

鈴木:村上先生は、ほんとによく本を読むんですよ。僕らのまわりで成功なさった先生たちは、漫画だけではなく映画や本を読んでインプットするんです。小学生の頃から漫画をいっぱい読んでいただいて、漫画以外にも面白いものに触れていただいて、絵の上手な人は描いてもらうというシンプルなメッセージしかないんですけど。とにかくいろんなものを吸収してほしいと思いますね。

村上:もう時代が僕なんかにはよくわからない。先ほど小学生がYouTubeを見るという話が出ていましたけど、でもその中にも新しい物語を紡ぎだす天才はきっといると思います。表現媒体として紙とペンがあれば誰でもどこからでも描ける漫画を、その人たちにこそ新しい漫画を描いてほしいなと思う。そういう意味においては、今という時代は厳しいかもしれないけど逆に、突き抜けることができる。新しいものを作ることができる。全く新しい革命の先頭に立つことができるチャンスじゃないかと思います。僕はもうぜんぜん駄目なんですが、ネットでも何でも使いまくれる人からビックリするような漫画が出てくることを僕は期待しています。

千野:できれば、幸せな10年を過ごされたお二人に幸せのヒットの処方箋というか、そういったプロとしてのお話を聞かせてもらえますか。

村上:自分が「面白い!」と思った描きたいことを、どうやったらもっと面白く見せることができるだろうか、ということを一生懸命格闘した10年間だったので、そこらへんはスケールアップしたんじゃないかと思える作品でした。でもだからといって次の作品がヒットするかというと、ぜんぜんヒットしないんです。これはもうこの世界ではしょうがない。だけど「もっと面白く、もっと面白く」という努力がそもそもなければ絶対にヒットしないだろうな、ということも言えると思います。コツがあるとしたらそれを忘れないで。小手先だけで描いても絶対人の心を感動させることはできないと思います。

千野:先ほど、たくさん本を読まれるという話もありましたし、「トイ・ストーリー」など映画の影響も受けたり。先生ならではの面白がり方というのを教えていただけますか。

村上:そうですね、「これは面白いなぁ、すごく努力しているなあ」と思ったときに、どうしてこの映画はこんなに面白いんだろうと考えることが大事だと思うんです。どうしてこの映画はつまんないんだろうか、それもすごく勉強になるし。あるいは、こことここをこうしたらもっと面白くなったんじゃないかとか。それはものを考える上でコツになると思います。

千野:最近の作品で何かありますか?

村上:漫画ではないんですが、「彼らが本気で編むときは」という性同一性障害を扱った映画を観たんですけど、すごい脚本が見事で、キャスティングも素晴らしい静かな佳作という感じの作品です。もともとは「かもめ食堂」や「めがね」を作った女性の監督が作っていて、クロワッサン文化的な、なんとなくいい話だけどドラマは何も起きない、みたいな映画を作られる方かなと勝手に思い込んでいて。ニューヨークに行って映画作りの勉強かなにかされたらしく、変身したなぁ、すごいなぁと。やっぱりものを面白く見せるというのは、地味とか派手とか、そういうことではないなあと感じさせてくれる映画でした。今も上映中だと思うのでぜひご覧になってください。おすすめです。

千野:鈴木さんはどうですか?

鈴木:漫画はよくキャラクターと言いますから、それは置いといて。とにかく漫画は人に読ませるものなので、ネームでも何でもいいんである程度かたちになったらまわりの人に読んでもらってください。それで先生が今おっしゃったように、いろんな感想を人は持ちますからその感想を吸収して、自分の漫画作りに取り入れるのはとても大事だと思います。漫画の初期って「トキワ荘」なんかもそうですし、仲間で研鑽し合ってやるのは大事だと思います。だから、ここに漫画を目指している人がいたら、仲間を募って見せ合って同人誌を作るとかしながら一歩一歩、魂を込めてやっていくしかないと思いますね。

千野:今の時代Twitterであげたら誰かが見てくれる、そういう時代。ネットを活用するというのもありですよね。

鈴木:自分の描いたものを人に見てもらうというのはドキドキすると思うんですよ。でもそれに慣れないと駄目だと思います。

村上:僕らも高校時代美術部に在籍していたんですけど、後輩たちにすごく漫画のうまいい子がいっぱいいて、プロのところにも出入りして作品を見せている。じゃあ、われわれも肉筆回覧誌を作ろうじゃないかとなって、たった一冊ですけど10人ぐらいの仲間が集まって作ったんですよ。それが本当に楽しくて、勉強もしないでそればっかりにのめり込んで失敗したんですけど、でも悔いはないくらい楽しい時間でした。あの出会いがあったから漫画家になったんだろうなと思います。

千野:「チームJIN‐仁‐」もそうですし、いろんな人たちと築きあげていく仕事なんだなと改めて気づかされました。きょうは本当にありがとうございました。

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